取材経験と紙芝居との出会いが震災伝承を仕事にするきっかけに。
横山和佳奈さんは、東日本大震災・原子力災害伝承館の語り部として、2021年5月のデビュー以来、来館者へ自身の体験と想いを伝えています。浪江町出身で、福島県内唯一の震災遺構となった請戸小学校で被災しながらも生還した横山さんは、請戸地区の伝統芸能である「請戸の田植踊」を踊る等、震災後、メディアから多くの取材を受けてきました。ただ、「どれだけ想いを伝えても、結局は記者の裁量にゆだねられ、視聴者や読者の反応が見えにくいことに、もどかしさを感じていました」と横山さん。大学生になったころ、請戸小学校での実話を題材にした紙芝居「請戸小学校物語 大平山をこえて」を製作した東京のNPO法人から、卒業生である横山さんに「読み手をしませんか」との提案があり、語り部活動も行うようになったそうです。「対面だと聞く人の反応がすぐに分かり、やりがいを感じました。震災に関わる仕事にも関心を持つようになりましたね」と横山さんは振り返ります。
研修室で講話を行う横山さん。紙芝居もスクリーンに投影しながら見やすくわかりやすく伝えている。
無くした記憶を紙芝居でたどり、12年間を40分に凝縮して語る。
横山さんは震災当時、請戸小学校の6年生でした。大きな揺れの最中には恐怖を感じながらも「パニックになってはダメだ」とひたすら自分に言い聞かせたのだそうです。揺れが収まった後、校庭に一時避難しますが、津波警報発令に伴い近隣の山へと避難を始めます。「実は避難中の記憶を無くしていました。でも、語り部を始め、当時の状況を調べる過程で、自分たちの詳細な行動を知ることができました。」伝承館の語り部の持ち時間は40分。デビュー当初、15分間は紙芝居を使い、残り25 分は自分の言葉で体験を語る2部構成でした。何回も語るうちに自分の言葉で伝えたいことが増え、現在、紙芝居は子どもたち向けのみに行い、ほとんどは自分の言葉で語っているそうです。「震災からの12年間を40分で語るのは本当に難しいです。」請戸小学校では教師、児童ともに全員無事でしたが、横山さん自身は家族を津波で亡くしています。「語ること自体は楽しいことではありません。つらい日もあります。」それでも横山さんが語り部を続ける理由とは何でしょうか。
語り部としてのやりがいと難しさについて語る横山さん。
生命を守り、心をつなぐ場所として、伝承施設が残り続けてほしい。
「被災した人にとっては、語り部がつらさを共有できる場になるのかもしれません」と横山さん。講話終了後、「私も浪江町出身です」と話しかけられ、被災体験を聴かせてもらうことがあるそうです。被災者は自分の経験を誰にでも話せるわけではありません。横山さんは伝承館で働き「請戸小学校で被災した横山和佳奈」と知られているからこそ、体験をオープンに話せます。しかし、一般の方が、自身を知られていない環境で、体験を語ることは容易ではないのです。そうした中、「語り部を聴いた方に『この人には胸の内を明かせる』と思ってもらえた。心に寄り添うことができたと感じました」と横山さん。「地震が来たら身を守る。津波が来たら逃げる。それが浸透すれば、教訓の伝承としては、私は不要かもしれません。でも、語ることで救われる、聞くことで救われる、そんな人がいます。“心をつなぐ場所”として、伝承館や請戸小学校等の伝承施設が残り続けてほしいです」と横山さんは語りました。
横山さんの母校で、震災遺構となっている浪江町立請戸小学校にあったピアノ。震災時は2階にあり、10センチほど浸水した。現在は伝承館に展示され、当時の記憶を伝えている。
東日本大震災・原子力災害伝承館
福島県双葉郡双葉町中野高田39
TEL:0240-23-4402