津波に見舞われた次女を12年以上も捜索。遺骨発見で新たな葛藤を抱えることに。

震災で家族3人を失った木村さんは、汚染土等の中間貯蔵施設エリア内で語り部活動に取り組んでいます。エリア内の自宅跡周辺で次女の遺骨を探す中、語り部として捜索の様子、エリア内の現状、防災への教訓について伝えてきました。震災時に勤務中だった木村さんは、ラジオの報道を伝え聞き「3mの津波なら自宅は大丈夫」と考えて仕事を継続。しかし自宅に戻ると家は流失し、母と長女こそ避難所にいたものの妻と父と次女が行方不明になってしまいました。周辺を探しましたが、原発事故のために断念して長女と母を避難させることに。しかし避難先からも県内に通って探し続けたところ、4月には妻と父が相次いで発見されました。残る次女の汐凪(ゆうな)さんが見付かったのは2016年9月。瓦礫の山から出たマフラーに首の骨が残っていましたが、この発見が新たな疑問を突き付けます。木村さんは安堵した半面「津波ではなく、置き去りにされたことで亡くなったのかも」との葛藤に見舞われたのです。

2013年7月、自宅裏の丘に建立された石碑。その前で捜索や自力設置の様子を話すことも、木村さんの語り部活動のひとつです。

被災現場でしか伝わらない感覚を大切にし、自らの経験を防災への教訓として語る。

震災直後に捜索活動を断念したのは原発事故の影響です。しかし木村さんはその憤りを前面に出すことなく、電気を使う生活のリスクも踏まえて受け止めています。語り部活動時にも感情を抑え「被害をもたらした電気のある生活についても、受け手に見詰め直してほしい」との思いを伝えてきました。さらに津波や原発事故の現場で話を聞くことは「施設に並ぶ資料や遺物を見ることとは違う」と指摘。「現地でしか味わえない感覚がある」と話し、それを大切にしながら活動していることを強調していました。また自身の思いとともに伝えようとしてきたのが、被害防止のための教訓です。震災後には869年に起きた貞観地震を紹介する報道もありましたが「震災前に知っていれば娘に伝え、津波からの逃げ方も教えていたはず」と木村さんは残念がります。それを知っていれば、汐凪さんたちは助かっていたかもしれません。それだけに木村さんは「この教訓を1,000年先まで伝えていきたい」と今後を見すえています。

エリア内の栽培漁業センターで、東北の大地震について語る木村さん。年間被曝量を超えないよう注意しながら活動しています。

すべての遺骨を見付けることではなく、被災した土地を未来へ残すことが目的に。

木村さんは語り部活動と同時に、汐凪さんの遺骨捜索も継続中です。2023年までに見付かったのは約2割ですが「最近は遺骨をすべて見付けることが目的ではなくなってきた」のだそうです。いま目指しているのは、この土地を「アーカイブフィールド」として未来へ残していくこと。中間貯蔵施設エリア内で遺骨を探し続けるためでもありますが、何より震災の大きさや防災の大切さを次世代へ伝えていくことが大きな目的となっています。現地を残し伝えていく重要性は「汐凪に気付かされた」と話す木村さん。そのためにエリア内で唯一、土地を売ったり貸したりしていません。震災で大きな被害を受けた場所だけに「それを繰り返さないためにも広島、長崎、沖縄のように未来へ残さなければならない」と語気を強めます。各自治体単位では追悼施設なども作られていますが、木村さんは「もっと大きな規模で設置してもいいのでは」とアイデアを披露。震災の教訓を未来に伝えるための大きな目標を語っていました。

汐凪さんの大腿骨が見付かった窪地を案内する木村さん。穏やかな表情で「友達の多い子だった」と思い出を話していました。

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