“サッカーの聖地”が原発事故で一転。収束拠点として復興を支える。
Jヴィレッジは1997年の開設以来、日本サッカー界初のナショナルトレーニングセンターとして日本代表をはじめとする多くの選手たちを受け入れてきました。特に中央にあるNo.3のピッチは日本代表選手しか使えなかったことから“神の宿るピッチ”とファンの間で呼ばれる特別な場所です。しかし、そんな“サッカーの聖地”としての輝かしい記憶は、東日本大震災と原発事故で一転します。地震による建物の被害は軽微でしたが、ピッチには多数の地割れが発生。さらに、原発事故の直後から2017年3月までの約6年間、原発事故収束のための拠点となり、ピッチには砂利と鉄板が敷き詰められて作業員の駐車場となった過去を持ちます。エントランスから屋外を望むと一面に広がる青々としたピッチ。かつて作業員の駐車場だったことを誰が想像できるでしょうか。「利用者のほとんどはJヴィレッジが原発事故の収束拠点だったことを知りません」と震災プログラムを担当する小湊亜希さんは語ります。
震災プログラムを通じて、学生をはじめとする多くの来訪者にJヴィレッジの軌跡を伝えてきた小湊さん。
予期することなく震災プログラムを担当。Jヴィレッジの代弁者として光と影を伝える。
「私が震災伝承に関わるとは思ってもみませんでした」と小湊さんは入社当時を振り返ります。スポーツに打ち込んできた経歴からJヴィレッジへの入社を志望した小湊さんは、いわき市出身で、自身は長期にわたる避難生活等を経験していません。一方、前任者で先輩の仁平さんは、避難区域に含まれた楢葉町出身で、震災プログラムの際も自分の体験を交えて語ることで、多くのリピーターにつながっていました。「そんな経験をしていない私が震災伝承なんてできるのか」と思った小湊さんですが、当事者の声を聞きながら、多くの利用者を受け入れるうちに、少しずつ気持ちに変化が起きていきます。それは、震災発生時から今日までさまざまな困難を乗り越えてきたJヴィレッジそのものに、人を勇気づけたり、警鐘を鳴らしたりするような物語があることに気づいたからです。「私は自分の視点でJヴィレッジを語ればいい。Jヴィレッジの代弁者として、光と影を伝えていくことが私の使命だと今は思っています。」
プロによって管理され、青々とした天然芝が広がるNo.3ピッチ。前任者の仁平芽衣さんと伝承活動に磨きをかける。
サッカーをきっかけにした震災伝承。子どもたちを通じて全国へ、世界へ。
Jヴィレッジは事故収束の対応拠点としての役割を果たした後、再開へと動き出します。敷地内に並べられた作業員宿舎は撤去され、土砂と鉄板が敷き詰められていたピッチは、土を40センチの深さまで剥がして入れ替えられました。さらに、全天候練習場や200室のホテル等を整え2019年に営業を再開。現在、春は企業研修、夏は大学の合宿、秋は高校の修学旅行等、1年を通じて全国から多くの利用者が訪れ、震災プログラムでも2023年には250団体以上を迎えています。来年には高校のインターハイでサッカーの3回戦以上の会場になることが決定。各地から訪れる高校生に、震災について伝える機会になるはずです。「高校野球の甲子園のように、Jヴィレッジがサッカー少年たちの憧れの場所となればうれしいです。」出口が見えない暗い困難を乗り越えたからこそ、さらに輝きを増すJヴィレッジ。この場所から世界で活躍するサッカー選手が生まれ、彼らを通じて震災の教訓が世界に広がっていく日が来るはずです。
1階通路の壁面に写真等が掲出されたJヴィレッジストリート。1997年の開設から2011年の原発事故後の対応、2019年の再始動に至るまでが一望できる。
National Training Center Jヴィレッジ