市内最大の被害を受けた薄磯地区にあるいわき震災伝承みらい館を拠点に活動。

いわき市の沿岸部、塩屋崎灯台のふもとにある薄磯地区は、東日本大震災で市内最大の被害を受けた地域です。787名344戸が暮らしていましたが、301戸が全壊し、100人以上もの生命が奪われました。この地にあるいわき震災伝承みらい館は、いわき市の震災経験をあらためて捉えなおし、震災の記憶や教訓を風化させず、確実に後世へと伝えていくことを目的に2020年5月に開館しました。ここを拠点に盛んな活動を行っているのが「いわき語り部の会」のみなさんです。現在15名ほどのメンバーが毎週土日の定期講話に加え、団体客の要望に応じて語り部講話を行っています。震災から12年が経過した今日も、全国から多くの人々が訪れています。「私の語り部のテーマは一貫して『じぶんの生命を守る』。震災の悲惨さだけでなく、近年は防災を特に意識して伝えています」と会長の大谷さんは語ります。

いわき震災伝承みらい館の展示スペース。地震や津波の被害状況から原発事故による避難、復興の歩み等を伝えている。

なぜ多くの方々が命を落としたのか。自分にしか押せない“避難のスイッチ”。

2023年9月、台風13号の影響でいわき市内の広い地域で浸水被害が発生したように、近年全国各地で災害が多発しています。また、駿河湾から日向灘沖にかけての境界を震源域とする南海トラフ地震の切迫性も高まっています。その一方で、実際にどれだけの人がハザードマップの確認や食料の備蓄等の対策を行っているでしょうか。「震災時になぜ薄磯地区でこれほど多くの人が亡くなったと思いますか」と大谷さんは問いかけます。激しい揺れの後、大谷さんが海を見に行くと、見えるはずのない海の底が一面に広がっていました。この異様な光景を目の当たりにしたことで事の重大さに気づき、大谷さんは避難を始めます。一方で、多くの住民は「まさか津波なんて来ないだろう。自分は大丈夫」と考え、行動に移さなかったと当時を振り返ります。「逃げなかった。それが多くの方々が亡くなった理由です」と無念さをにじませながら「“避難のスイッチ”は胸の中にあります。それは自分にしか押せないんです」と大谷さんは語ります。

体験を語る大谷さん。聞いていると、緊迫した当時の状況を疑似体験するような感覚に襲われた。

見えないものを伝える語り部の力が、年月を経てますます求められている。

いわき震災伝承みらい館が計画された当初は、実は語り部活動を想定しない展示施設だったそうです。それを大谷さんたちが働きかけ、今日のような語り部の講話を行える施設になりました。「真っ黒の津波の映像を見てもらう時に言うんです。想像してください。この中に人がいるんですよと。」映像では見えないことが、語ることで初めて伝わります。砂浜で講話を行った際には「今ここに津波が来るかもしれません。あなたはどうしますか」と投げかけ、日ごろからイメージトレーニングを行う重要性を訴えています。それが“避難のスイッチ”を躊躇なく押すことにつながるのです。年月とともに、自分の仕事を震災伝承から防災へと捉え直すようになった大谷さんは、防災士の資格を取得し、講話に磨きをかける日々です。「私たち、語り部の言葉には重みがある。だからこそ学び続け、何のために語り部をしているのか、自分に問い続けています。」災害をなくすことはできなくても、生命を守ることはできる。その信念を胸に大谷さんは今日も人に語りかけます。

晴天の下、青い海が広がる薄磯海岸。今も災害が起こるかもしれないとイメージすることが“避難のスイッチ”を押す練習になる。

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いわき震災伝承みらい館

〒970-0229
福島県いわき市薄磯3丁目11
TEL:0246-38-4894

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