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「今この本を残さないと記憶が残らない」。危機感に突き動かされて作った冊子。
廣野さんは川俣町山木屋出身。東日本大震災の前年、2010年に公民館の館長に就任しました。震災後、6年に及ぶ避難を経て山木屋に戻り、町民の健康維持や交流活性のための取り組みに尽力し、その中で、2019年に町民たちが事故や避難当時の思いを綴った証言集「震災の記憶 山木屋では」の編纂に取り組みます。廣野さんが原稿依頼者を検討し、1人1人を訪ねて寄稿の依頼と回収を行い、公民館の主事の協力を得て約1年ほどの時間をかけて町民62名の証言をまとめた冊子です。町は原発から約40kmの位置にあり長い期間計画的避難区域となっていて、その頃のそれぞれの思いを10~80代と幅広い年代の町民が実名で綴っています。「今この冊子を残さないと、記憶が残らないという危機感がありました。避難を経験しなかった人にも読んでほしい。」証言集の作成の動機を廣野さんはそう話します。
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62名の記憶が綴られた「震災の記憶 山木屋では」。それぞれの被災から避難、帰還後の記憶が思いを込めて書かれています。
避難生活中の町民の健康維持を懸念し、運動の会を企画。長引く避難生活、町民たちをつなぐ取組。
震災発生時、廣野さんは地元の寺の総代会に出席していました。総代会を早めに切り上げ帰宅すると、自宅の屋根の瓦がたくさん落ちひどい被害状況でした。原発事故により、刻一刻と状況が変化する中復旧作業を進めますが、4月には山木屋地区が計画的避難区域に指定されます。行政からの明確な避難指示がなかったことから、廣野さんは館長として公民館の活動停止を決めました。
7月から住民たちの仮設住宅への入居が始まり、廣野さんも近隣のアパートを借りて避難生活を開始します。町民は高齢者が多かったため、廣野さんは次第に、彼らの健康の維持やコミュニケーションの減少が気がかりになります。そこでウォーキングや卓球などの運動の会を仮設住宅に付随する集会所で行いました。避難中も、町民たちがばらばらにならず健康でいられるようにという思いがありました。
正月には帰宅できるだろうとみんなで話していました。しかし避難解除は2017年3月まで続き、6年という時間を町民たちは避難先で過ごしました。その期間に亡くなった人も多いと廣野さんは話します。
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「高齢者が多く、少しでも楽しいことを増やして暮らせないかと考えていた。」と話す廣野さん。
避難指示解除後、交流の場所づくりを開始。失われる記憶を残す証言集の作成も。
2017年3月31日に山木屋の避難指示が解除されると、すぐに廣野さんは帰還しました。戻ったものの、公民館は避難期間中に地域安全パトロール隊員の詰め所となっていたため物置のような状態。グランドゴルフの敷地にも重機がおかれていました。そこから、廣野さんは公民館事業でグラウンドゴルフや、スポーツ吹矢、卓球の練習など、帰還した人たちが交流するための場所づくりを開始します。「高齢者が多いのに、人と接することが少なくなっていました。震災前にはあったつながりが薄れていることが気がかりで、どうにかしたくて。」と廣野さんは振り返ります。
同時に、廣野さんにはもう1つ気になる点がありました。震災から2年ののちに講演を依頼された時、そう長い時間は経っていないにもかかわらず被災時の細かな点を思い出せかったのです。「何もしなければ、私たちが経験した震災の記憶は忘れられて、教訓を次の世代に伝えることができなくなってしまう。」と思い、2019年震災の記憶を綴る冊子の作成を開始します。残しておかなければ消えるだけだという思いに突き動かされたといいます。
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公民館には帰還後のイベントの記録が掲示されています。取材当日も雑貨づくりで町民たちが集っていました。
証言集、そして山木屋の文化を綴る冊子づくりへ。記憶をつなぎ、地域をつなぐ活動に。
寄稿者と何度も話をし交流を積み重ね、約1年間ののち証言集は完成しました。それは町民に配られ、現在も山木屋公民館で閲覧することができます。証言集を最初として、その後も廣野さんは歴史や祭り、グランドゴルフの記録等、山木屋の文化を綴った冊子をいくつも作成。それらもまた公民館で閲覧可能です。「残しておかないといけないという気持ちが私は強いのかもしれません。役場や町民たちなどいろんな人に連絡して話を聞いて、調べて作り上げていくんです」と廣野さんは語ります。震災、避難、復興の記憶を受け継いでいくためには人と人がつながって縁を大切にすることが必要であるというのが廣野さんの思いです。
「証言集の寄稿の依頼のために町内の全ての家をまわった時、多くの町民と会話して、それぞれの状況や想いを共有しあうことができました。それが地域の絆を育み、スポーツ等の盛んな活動につながっています。」震災の記憶を未来に伝えるため、また地域の人々をつなぐため、廣野さんは編纂を続けます。
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廣野さんがこれまで作成した冊子です。「まとめなければ残らないことを残したくて。」と廣野さんは話します。
山木屋公民館
福島県伊達郡川俣町山木屋小塚5-8
TEL:024-563-2301