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夜の予約客の移動状況が気がかりで避難しなかった。大きな津波が来るとは思わなかった。
「遊学の宿いさみや」は相馬市松川浦にあります。2022年3月16日の福島県沖地震で大規模半壊。2024年8月にリニューアルオープンしたばかりです。
代表の管野功さんは東日本大震災発生時にもいさみやで来客の対応をしていました。昼食に団体客がいて、地震が起きたのは片づけが終わった時間。大きな揺れでしたが管野さんは避難しませんでした。夜も予約が満室で、お客さんたちの安全や移動状況が管野さんは気がかりだったのです。
津波が来るからと従弟が車で迎えに来ました。缶コーヒーを飲みながら車に乗ったといいます。「そんなに大きな津波が来ると思っていなかったんですよ。松川浦は湾なので津波はこないものだとひいじいちゃんの代から言われていて。」しかし走ってきた道路を車から振り返ると、その道を今まさに津波が飲み込んでいました。高台まで必死で登り切って町を見下ろすと家も何もかもが流されていました。この町は終わったと管野さんは思いました。
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「その日宿泊予定のお客さんが来た時、誰かいないといけないと思っていました。」と話す管野さん。
瓦礫の中、できるところから旅館業を再開。営業は軌道に乗る。しかし状況はまた大きく変わる。
翌日に旅館を見に戻っても瓦礫だらけで中に入れませんでした。1週間地元の中学校に避難し、原発事故の話を聞き今度は山形に避難。相馬市に戻り片付けを開始するも津波にさらされた汚れは簡単には落ちません。ボランティアの力を借りて営業再開を目指しました。管野さんはブログに復興作業の様子を記録しており、その頃毎日数千人が見守っていました。それもとても励みになったといいます。
そして6月に営業が再開。しばらくの間はボイラーも調理場も使えず素泊まりのみの対応でしたが、復興作業員や除染の作業員、福島を応援してくれる県外からの来客が宿泊して賑わいました。4、5年ほどで作業関連の利用は減り、間をおいてようやく一般の来客やスポーツ合宿等での利用が増えてきました。福島県沖で獲れた魚の飲食も徐々にですが受け入れられるようになりました。
コロナウイルスの感染症が拡大したのはそんな矢先でした。そして2021年2月、2022年3月にも福島県沖を震源とする地震が発生します。
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2024年8月にリニューアルオープンした「遊学の宿いさみや」。体験型の宿がコンセプトで、施設内で浜焼きができる。
3度目の被災で、宿の営業は取りやめに。苦しみの中から上がった「浜焼き」イベント長期開催の声。
2021年2月に福島県沖で地震が発生、相馬市では震度6強を観測。そして2022年3月にも震度6強の地震。経験してきた中で1番大きな揺れだったと管野さんは振り返ります。相馬市内では東日本大震災より2021年が揺れが激しく、2022年はさらに被害は深刻でした。いさみやの建物は基礎まで壊れていることを建築士に診断されます。そして営業を取りやめました。
コロナで客足が大きく減少している中で大きな地震が2回も起きました。宿は解体して建て直すしか方法はありませんでしたが巨額な資金が必要で、補助金を申請するけれどなかなかまとまりません。「ただただ、どうしたらいいかわからなかった」と管野さんはいいます。
そんな中、親しい旅館の若旦那たちのチーム「松川浦ガイドの会」で、ゴールデンウィークに浜焼きイベントを長期開催してみないかとの声が上がりました。地物の海産物等を炭火で焼いて提供する浜焼きは相馬市で震災前まで盛んで、前年の2021年11月に震災後初めての販売イベントを行っていました。連休時の長期開催という提案は、三度目の被災によりどの旅館も営業をできないという追い詰められた状況から上がった声でした。
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「松川浦ガイドの会」の仲間たち。苦楽をずっとともに過ごしてきたといいます。
観光に尽力する日々を経て、ついに宿のリニューアル。これからもこの町で生き続けていくために必要なこととは。
2022年のゴールデンウィークに、海沿いのいさみやの前で10日間の浜焼きイベントを開催しました。管野さんら若旦那たちはみな意気消沈しながら準備しなんとか開催したといいます。ですが、想像をはるかに超える来客で浜から町に続く道路がずっと渋滞し、それでもお客さんはずっと待ってくれました。そのイベントを契機に浜焼きは全国各地に招かれるようになり出店はいつも長蛇の列に。多くのメディアに取り上げられる松川浦の名物として復活を遂げました。
2024年8月についにいさみやはリニューアルオープン。宿の営業ができなかった約2年、観光案内に尽力し松川浦の魅力を伝えてきた経験を活かし、宿泊メニューにはお客様が楽しく過ごせるコンテンツを盛りこんでいます。被災と、そこから立ち上がるために活動した様々な経験や、強固となった周りの人たちとのつながりが、管野さんの今を支えています。
震災の経験を伝えるため、菅野さんがしていることがあります。自分の子どもと一緒に外に出かける時、地震が来たらどうするか、その場所ならどこに避難するか伝えるようにしているのだといいます。震災の記憶が残る町でこれからも生き続けていくために、その記憶を未来に向けて活かしたいと考えています。
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2022年に道の駅米沢で行われた浜焼きの様子。ゴールデンウイークの松川浦の浜焼きに来てくれたお客様もまたたくさん足を運んでいただき感激したといいます。