SNSで拡散された詩に共感して新地町へ。魚を追えず意気消沈した漁師たちに直面。
震災当時、映画製作会社で働いていた山田徹さん。大きな揺れに驚いて部屋を飛び出したそうです。屋外では信号が消え、電車も止まる等、日常風景が一変していました。
それ以上に衝撃だったのが、原発で水素爆発が起きた福島県の状況です。想像を超える事態ながらも、それを受け止めて「自分の言葉で語れるように」と被災地の撮影を決意。2カ月後には福島県に向かっていました。
新地町を訪れたのは、SNSで拡散された詩がきっかけ。詩人の和合亮一さんによる「詩の黙礼」では、町の駅や海について語られていたのです。この詩に共感した山田さんは、5月の連休に新地町を訪問。漁師たちにカメラを向け始めました。
そこから約4年半を経て完成したのが、ドキュメンタリー映画「新地町の漁師たち」です。この作品では原発事故で漁が行えない中、海中のがれき撤去や放射線測定用の魚介サンプル採取に甘んじる、漁師たちのやるせない様子がとらえられています。
独立後に手掛けた初監督作「新地町の漁師たち」。公開後は国際的な映像祭でも高く評価され、見事大賞を獲得しました。
漁師に密着する中で「生業」の意味を理解。 生計だけでなく生き方そのものだと実感。
しかし漁の再開につながる試験操業が始まると、漁師たちも明るい表情に。山田さんはこの様子を目にしたことで、漁師たちの「生業を奪われた」状況がようやく理解できたそうです。
東京出身の山田さんにとって仕事とは選択可能なもの。漁に出られないのに転職しない漁師を見て、不思議に感じたそうです。
しかし撮影を通じ、漁師たちは生活も年間行事も人間関係もすべて、海と周辺の地域社会を基盤としていることに思いいたります。その海が汚染されて漁に出られなくなることは、生き方そのものの否定にも等しい事態だったのです。山田さんはこの気付きを得て、震災や原発事故という映画のテーマに「漁師という生業」も加えました。
しかし漁師たちに活気が戻ってきたころ、原発建屋内に流れ込む汚染水増加を抑える地下水バイパス計画が検討され始めます。山田さんのカメラはこの計画をきっかけに、その是非をめぐる漁師たちの葛藤をも映し出すようになるのです。
撮影当初は出口の見えない操業停止に漁師たちも消沈していた様子。物語のテーマも見出せず山田さんもまた苦しんでいました。
後半は2025年1月24日(金)に公開
釣師浜漁港
福島県相馬郡新地町谷地小屋字浜畑
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